24 野球部 だった話

2009年が約10年前って信じられなくない?

俺は信じられない。

 

2009年のWBCで投げてた岩隈、杉内の圧倒的なピッチング忘れられない。

杉内は引退しちゃうけど、岩隈はあと1年でいいから楽天のユニホーム姿が見たいので頑張って欲しい。投げなくてもいい。居てくれ。

2段モーション辞めた岩隈のフォームの綺麗さは異常。

 

 

そんなWBCを見てから俺は野球への憧れがめちゃくちゃ強くなってしまう。

そして、高校に入ってからは野球部へ入部する。

 

軟式もやったことが無い男は、いきなり硬式野球デビューして夏の公式戦に出るのだが、「ボールよ、飛んでくるな」以外の感情が無かった。

 

 

 

 

高校入学後スグに部活見学が行われ、4月中に部活を決めなければいけなかった。

初めから野球部に入ろうと決めていたものの、気がかりが1つあった。髪型だ。

 

雰囲気イケメンを目指していた俺にとって髪の毛は生命線であり、坊主になんかしたもんなら高校での色恋沙汰は完全に無くなると確信していた。

 

 

見学会で思い切って、坊主は強制ですか?と尋ねると「好きなようにしなさい」との事だったので俺は入部した。

 

しかし、4月中に坊主にしろと先輩から脅され、坊主にするまで練習メニューがもれなく1.5倍になるという粋な計らいで、泣く泣く俺も坊主にした。

 

 

ちなみに我が母校は俺が在籍していた頃は万年1回戦敗退レベルの弱小校だったのに、最近は県内ベスト8常連になっているので信じられない。

監督が変わるだけでこんなにレベルが上がるなんてスゴいなぁ。

 

 

監督、コーチ(2人)、部員20人の野球部に入部して1ヶ月後、ウチの野球部に左打ちが少なかったこともあり俺はいきなり左打ちへ転向。投手がやりたいと言ったものの初心者が出来るわけもなく、レフトをやることになる。

 

俺「レフト?外野なんて全部簡単やろ😁」

 

 

 

そう思っていた俺は3日で外野をクビになる。

 

 

外野に飛んでくるボールが見えなかった。

視力はその頃から0.6くらいしかなく、とてもじゃないが裸眼でボールを追うなんて出来なかった。

 

監督にその話をした翌日からセカンドとしての練習が始まった。

 

 

慣れるまでは打球を身体で止めるしかなかったので、身体中に痣が出来る。痣くらいなら耐えれたのだけど、タコが破れた時は痛すぎて泣いた。

 

タコが破れても素振りをしている先輩を見る度「マゾヒストの鏡」だなと思うと同時に「こんなに素振りしてて何で打てねえんだ」と思ったりもしてた。絶対言えないけど。

 

 

 

セカンド・左打ちの練習を始めてから1ヶ月、練習試合に8番セカンドとして出場。

 

監督は超がつくほどの左推しだったので、左打ちにしただけで試合に出させてもらえる機会が増えた。

 

初打席はライトへの犠牲フライだった。

人生初打点はヒットではなかったけど、塁に残ってしまうと初心者がスグにバレるので助かった。スライディングって難しいんだよ。

 

4打席目でようやくセンター前にヒットが打てた。

「とりあえずバット振っといて、やる気だけアピールしとくか🤔」そんな気持ちで打席に立っていたのでバット当たった時には俺も驚いたし、ベンチは笑っていた。

 

 

守備ではトンネルやフェルダースチョイスと散々やらかしてしまい、試合後コーチとマンツーマンで守備練習。

この頃は本気でコーチを殺す方法を考えていたし、頼むから靭帯の1つでも切ってくれと毎日神社に願いに行ったりもした。

 

 

 

ここから夏の大会への話になるので一旦区切ります。おやすみ